都市構造の変化と自動車の急増により「都電」の状況は厳しくなってきました。
1959|昭和34年[東京オリンピック翌年]
自動車の都電軌道敷地内への乗り入れが法律で許可され、「都電」は押し寄せる車に呑み込まれるようになりました。
1962|昭和37年
営業キロ :213km
1日の乗客数 :150万人
系統数 :40系統
営業所数 :17カ所
1967|昭和42年
東京都が路面電車の廃止を決定し、1972年(昭和47年)まで6回の撤去計画が実行されることになりました。
これにより、27系統[三ノ輪橋-赤羽]と32系統[荒川車庫前-早稲田]を残し、合計181kmもの都電の路線が東京の路上から消えました。

銀座|昭和40年代

学習院下|昭和40年代