
2022年10月11日
こんにちは。経営企画部です。
本日は、当金庫のルーツについてのお話しです。
先日、お客さまより西武信用金庫の創業者にまつわる貴重な資料をいただきました。
こちらの写真はその一部で、1953年(昭和28年)当時、東京相互信用金庫(現 千駄ヶ谷支店)の新築落成記念の様子を撮影したものです。
建物のまわりは高層の建物がなく空がきれいに抜けています。現在の同所在地はというと、明治通りはアスファルトで整備され、見渡せば首都高速にドコモタワーと高層大型の建造物が立ち並んでいます。70年余りの遷り変りにとても驚きました。
そして、もう1つ、西武信用金庫、発祥の一つである千駄ヶ谷町信用組合の創設者、故米田幸次郎氏の胸像をいただきました。
米田幸次郎氏は、1875年(明治8年)、石川県能美郡に生まれ、小学校教員を経て法律を学ぶため上京しました。
その後、実業界に身を置いた49歳、1923年(大正12年)関東大震災が発生します。当時の東京市は甚大な被害に見舞われました。これを見た米田氏は実業界を離れ、生活困窮者の支援、地域の治安維持に尽力します。
1928年(昭和3年)千駄ヶ谷地域の振興を目的とした有限会社千駄ヶ谷町信用組合(信用金庫の前身)の創設者の1人となりました。米田氏は信用組合事業に精勤する傍ら、司法保護委員として受刑者の社会復帰支援にも尽力します。
その後、太平洋戦争により荒廃した中小企業の復興を推し進めるため、信用金庫の団結が必要であるとの考えから、1956年(昭和31年)渋谷信用金庫初代理事長に就任しました。その翌年、82年の生涯を閉じます。
『互いに助け合う(相互扶助)』、『地域の人々が力を合わせて地域の振興を図る(地域協創)』。
米田氏の想いは令和の時代にあっても、今も変わらず現役の役職員に脈々と受け継がれています。
先人たちの想いを受け継ぎ、『人や地域に優しい存在』であり続けなければと改めて心に刻んだ次第です。
西武信用金庫では、当金庫のルーツ(武陽信用金庫・協立信用金庫・渋谷信用金庫・東邦信用金庫)にまつわる資料を地域の皆さまから随時募っております。
何か情報がございましたら、西武信用金庫 経営企画部(tel.03-3384-6117 平日9時~17時受付)までお寄せいただければ幸いです。